HOME
石見銀山について
石見銀山は、室町時代末期の1526年、博多の商人神屋寿禎によって本格的な開発が始まった鉱山で、以来およそ400年に渡り銀が採掘されました。とくに16世紀から17世紀にかけて栄え、石見銀山を巡って戦国時代の武将達が争い、徳川幕府の時代となってからは直轄領として厳しい管理下に置かれました。17世紀前半には日本は全世界の銀産出量のおよそ3分の1を生産したとされますが、石見銀山はその大部分を支えました。町とその周辺には銀山に関わる多くの人たちが住まい、その数は実に20万人超であったと伝えられます。石見の銀は海外にも多く輸出され、アジアとヨーロッパの貿易を支える役割を果たしました。
石見銀山史跡は鉱山や製錬の跡、山城の跡、大森や銀山の人々の暮らしの跡、銀や物資を運んだ街道、さらに積み出し港からなります。数々の遺跡と建造物、自然が一体となった類稀な存在として、2007年のユネスコ世界遺産登録を目指しています。実現すれば、日本で14番目の世界遺産、アジアでは初の鉱山遺跡となります。
-
石見銀山とは〜世界遺産への道
---世界遺産登録を目指す石見銀山のご説明です
-
石見銀山へのアクセス
---石見銀山へのアクセスルートを文章と図でご案内します
ドラード日本図(1568年)
(松本賢一『南雲紅毛地図集成』鹿島出版会より転載)
日本の石見地方の辺りに『AS MINAS DA PRATA』(銀鉱山)と記されている。
石見銀山で生み出された銀は東アジアに流通し、おりしも大航海時代を迎えていたヨーロッパ交易と結びついて東西の経済・文化交流につながった。
Copyright©2007 石見銀山ガイドの会 当サイトに掲載された文章・写真・データ等の無断転載を禁じます。
- 〒694-0305 島根県大田市大森町イ824番地3
- 電話:0854-89-0120
- FAX:0854-89-0706

